サマーアソシエイト 参加者感想文(模擬裁判感想文) K.Aさん(2016年)(東大ロー在学)
今回の模擬裁判で強く感じたことを3点にまとめてみる。
裁判官の心証形成の難しさ、裁判員評議の難しさ
今回の模擬裁判では、右陪席裁判官役を演じさせていただいた。合宿以前のサマーアソシエイト期間では事件記録を一切見ることを許されず、起訴状一本主義が何たるかを早くも体感することになった。2日間連日開廷の裁判員裁判ということであり、公判廷で素早く事件を理解することが要求されたが、そのことで集中力が増し、効率良く審理が進められることがわかった。一方、当然ながら証拠調べ手続きの全てに新規性があり、法廷に顕出される証拠を追いかけ、事件を理解するのが大変であった。そのため、冒頭陳述や論告・最終弁論はメリハリあるわかりやすい表現・音声が重要だと法科大学院で教わったことの意味も非常によくわかった。平坦で冗長だと、裁判官・裁判員がいくら集中力を高めていても言わんとすることが伝わらず、後に書面で振り返られる機会も少ないので、印象薄なまま判決に至ってしまうおそれがあることが容易に想像できた。
そのような短時間で得た情報を基に、多種多様な考えや知識、バックグラウンドを持つ裁判員の評議によって心証を固め量刑まで決めることの困難さも極めて大きいと感じた。厳密には多種多様なバックグラウンドというわけではない今回の裁判体でさえ、評議では綺麗に票が割れるようなこともあった。今回の事件は、「店を燃やしたかったから放火した」のだとしても、「厨房に入らず済むように通路を汚そうと思って段ボールを燃やそうとした」のだとしても、いずれも動機の不自然さが拭えないと思われる事件であり、この点が評議での意見を割れさせていたと思う。被告人質問において被告人の言い分の不自然さや合理性についてあぶり出す質問が(補充質問をふくめて)もっと必要であったと思う。
また、実際の記録を読むと、被告人質問においては、被告人がラック在中物や大家の存在について検察官面前調書で話しているが、それが本当に事件当時の記憶に基づいているのかという点を主な争点として弁護側も検察側も尋問を行っていることがわかる。弁護人の意図としては、ラック在中物については取調べ時の認識を喋っただけであり、大家が住んでいることの認識は事件後に警察官に教わった知識をもとに喋っただけだ、というものと思われる。このような観点から攻防がなされれば、裁判官・裁判員としても、ただ漠然と「被告人の言い分が合理的か」ということを考えるのではなく、「調書と公判廷供述のどちらが事件当時の被告人の認識を正しく反映しているか」というより具体的で判断しやすい考え方に誘導されるのではないかと感じた。
当事者目線と事実認定者目線の違い―立証趣旨を明確にすることの重要性と、異議の重要性
私は法科大学院の刑事模擬裁判で弁護人役を演じ、尋問にも立ったが、今回裁判官役をさせていただき特に強く感じたのは、当事者役が思っている以上に、何のために尋問しているのかがわかりにくいということである。例えば、検察官は警察官勝又の主尋問において燃焼実験報告書の成立の真正を立証するとしていたが、実際には燃焼実験の中身にも相当踏み込んだ尋問を、かなりの時間をかけて行っていた。成立の真正を立証するのであれば署名押印部分が勝又自身のものであることを確認し、実験の中身についても日時・場所・方法などを簡単に確認すれば済むのではないかと思い、尋問中ずっと頭に疑問符を浮かべて聞いていた(もっとも私の理解力が及ばなかっただけかもしれないが)。それと同時に、自分が弁護人役の時も、裁判官にとって意味のわからない尋問をしてしまっていたのではないかと自戒の念も込み上げてきた。今回田代裁判長は尋問を止めるようなことなさらなかったが、裁判体によっては何のために行われているかわからない尋問と判断すれば制限することもあろう。そうなれば裁判員に与える印象が芳しくないことは容易に想像がつくので、恐ろしいものだと思った。
また弁護士役の際は、異議を出すか出すまいか悩んだ末、異議を出さないことを自分の中で適当な言い訳を付けて勝手に正当化してしまうことが多かった。そして、考えた上で異議を述べないと判断したのだから、それはそれでよいと思っていた。しかし当事者役が思っているより、異議を述べるべき場面が多いものだと、今回私の感覚では思った。今回の模擬裁判で言えば、検察官が燃焼実験報告書を刑事訴訟法321条3項により証拠請求し採用されたのに対して弁護人が異議を申し立てなかったことや、弁護人が弁2号証を証拠請求した際、裁判官の却下決定に対して異議を申し立てなかったことが個人的には気にかかった。一方、(何の場面か忘れてしまったが)先生が異議を出されて棄却された際に「記録に留めておいてください」と仰っていたことが印象的であった。上訴を見越した訴訟活動として異議申し立てることが重要であることを学んだ。
基本的知識を前提に実務的運用を学ぶことの重要性
試験問題には、基本的に問題文に現れている事情は全て真実である前提で臨めばよい。しかし実際の記録となると、何が真実らしいかはもちろん、真実であったとしても立証できるかどうか検察官は判断を迫られることになる。今回の模擬裁判では、被告人に、被害建物の現住性の認識があったか否か、現住建造物放火で起訴するか非現住でいくかについて、検察官は判断を迷ったものと思われる。実際の事件記録では非現住で起訴されていることがわかる。
一方、裁判手続などに夢中になるあまり、教科書に必ず載っている基本原則を失念してしまったこともあった。例えば、被告人質問における現住性認識が無かった理由についての被告人の弁解を検討するに当たって、無意識のうちに弁解内容に高度の合理性を求めてしまっていた。裁判員評議の際に田代裁判長に「被告人の弁解は、排斥できる事情があったり、明白に不合理であったりしない限り、容れるべき」と指摘されはじめて自分が被告人供述に求めるハードルが高かったことに気付かされた。
教科書に載っている基本事項を当然の前提として手続は進んでいく。そこから振り落とされてしまえば致命的失敗まで一直線であるから、現在の机上の学びがいかに重要かを再認識した。それと共に、生の事件の一筋縄ではいかない難しさを体感した。
以上のような学びを得た2日間であった。