労働基準監督署による監督制度の概略
労働基準監督署による監督制度は、労働基準法をはじめとする労働法令の違反を是正し、労働法令を順守させることを目的とする制度です(河野順一『労働基準法違反と是正勧告・就業規則・個別労働関係紛争をめぐる実務対応』(酒井書店)2頁)。この制度は、会社の雇用関係における法令違反や、改善点を早期に発見し、労働者に重大な被害を及ぼす前の歯止めとなるという重要な意義を有します。
労働基準監督署の中心的な手続きは、①事業所、寄宿舎その他の付属建設物に立ち入り調査をする「臨検監督(いわゆる臨検)」と、②その調査結果に基づき法令違反や改善すべき点が見つかった場合に文書で行われる、是正勧告、③悪質な違反事実がある場合などに行われる犯罪捜査等の司法処理手続きに分けられます。手続きは、必ず①から③の順序で進みます。このうち、労働基準監督署は、①および②、さらに③に移行するための送検(検察官送致)という手続きを担当します(表1)。
表1 労働基準監督署による手続きの流れ
手続きの開始
臨検監督手続は、主に次の3つのうちいずれかの事由があった場合に、開始されます。
- 労基署および労働局が定めた年次計画書に基づく選定
- 労働基準法104条に基づく労働者からの申告
- 労働災害の発生
一般的には、対象事業者に事前に電話をして、訪問日時を調節して行いますが、帳簿、書類改ざんの恐れなどがある場合には、事前に連絡せずに抜き打ちで行う場合もあります(河野順一・寺田知佳子『労働基準監督機構の役割と是正勧告』(中央経済社)122頁)。いずれの事由に基づく調査であるかは明らかにされませんが、解雇および「円満退職以外の退職」があった場合や、突然の監督官の来訪があって、ピンポイントの質問が繰り返されている場合には、(2)である可能性が高いといえます。
質問の内容等から、内部に申請をした者がいるかについても、ある程度判断できます。この際、通常は犯人探しをしないように指導されます。申告者に対して決して報復措置をしてはいけません。極端に態度を変えることも慎んでください。労働基準法(以下「労基法」といいます。)104条、労働安全衛生法(以下「安衛法」といいます。)97条などで、申告者に対する不利益取り扱いは禁じられているからです(吉本俊樹『監督官から呼び出しが来た!労基署調査・指導・是正勧告対応の現場』(日本法令)54頁)。たとえば、解雇や、昇給差別を行った場合には法律違反となり、その効力は法律上無効として扱われます(前掲河野112頁)。
臨検監督手続
労働基準監督官(以下「監督官」といいます。)は、事業者、寄宿舎その他の付属建造物に立ち入り調査をする権限(労基法101条1項)、帳簿・書類等の物的証拠を提出するように求める提出要求権、使用者又は労働者に証言を求める尋問権(労基法101条1項)などを有しています(前掲河野110頁)。立ち入り検査や調査を拒むことや、虚偽の事実を陳述すると、処罰されるおそれがあります(労基法120条4号)。
調査対象
臨検監督による調査は大きく⑴労働基準に関する調査、⑵安全衛生に関する調査⑶労働保険料に関する調査に分けられます(表2)。このうち最も多いのは、⑵安全衛生法にかかわるものです。安全衛生法違反は、直接労働者の身体・生命に害を及ぼす可能性が高いためです。臨検に当たっては、法に定められた帳簿等を用意して臨まなければなりません(表3)。
表2 調査類型と調査ポイント、調査の対象資料
調査 | 調査ポイント | 調査対象資料、事実 |
---|---|---|
労働基準に関する調査 | 労働時間管理と残業代等の未払いの有無など | 賃金台帳、出勤簿、36協定届、就業規則、雇用契約書 |
安全衛生に関する調査 | 安全衛生管理状況 | 健康診断個人票、健康診断で異常所見診断がなされたものに対する措置の事実 |
労働保険料に関する調査 | 労働保険の申告が正しく行われているか | 賃金台帳、労働者名簿、重大災害の発生 |
(詳しくは、前掲河野116頁参照)
表3 臨検で、用意すべき法定帳簿と法令上の義務(前掲吉本43頁)
帳簿の種類 | 法令上の義務 | 義務違反に対する罰則 |
---|---|---|
労働者名簿 | 労働者名簿を設置、労働者の氏名等を記載、変更があればその旨記載(労基法107条) | 30万円以下の罰金(労基法120条1項) |
労働条件通知書(雇入通知書) | 労働条件の明示 (労基法15条1項) | |
賃金台帳 | 賃金台帳の設置、変更後遅滞なき修正(労基法108条) | |
就業規則 | 就業規則の備置・周知(労基法106条) | |
健康診断個人票 | 健康診断の実施等(安衛法66条1項) | 50万円以下の罰金 |
是正勧告の手続き
表4 是正勧告の手続き図
是正勧告書記載の指定期日までに、是正措置についての報告書を提出する必要があるが、やむを得ない事情により指定期日までに是正措置を取ることができず、報告書を提出できない場合には、理由を告げて期日後に提出することもできます。なお、安衛法等の違反を原因として労働災害を発生させた場合には、是正期日内であっても、送検手続きを取られる可能性もあるので、できるだけ速やかな対応が望まれます(前掲河野141頁以下)。
是正勧告の性質
是正勧告は、使用者が任意に労働法令の違反を是正することを期待する行政指導の一つであって、勧告に従った是正をしなかったとしても、企業の法的地位に何らの影響もありません。ただし、違法事由があるにもかかわらず、是正勧告に従わず、違反が悪質であると判断されれば、監督官は、法律上の権限を行使して検察官に事件を送致(送検)する可能性があります(送検については後述)。このようにして、是正勧告は、法律上の強制力はないものの事実上の強制力があります(前掲河野163頁以下)。
臨検監督の際における文書の種類とその内容
監督官は、臨検監督を行った結果、法令違反の有無などの状況に応じて必要な文書を交付します(表5)(前掲河野137頁から141頁)。
表5 文書の種類
法違反の有無 | 交付される書面の種類 | 交付主体 | 書面交付によって生じる義務 | 従わない場合の制裁 | 行政不服審査法・行政事件訴訟法に基づく訴訟の可否 |
---|---|---|---|---|---|
法違反がある場合 | 是正勧告書 | 労働基準監督官 | 是正報告書の提出 | なし | 不可 |
法違反はないが、改善化必要な場合 | 指導票 | 労働基準監督官 | 是正報告書の提出 | なし | 不可 |
安衛法その他の違反があり、危険な場合における施設設備の使用停止等をする場合 | 命令書 | 労働基準監督署長 | 施設設備等の使用停止 | 6か月以下の懲役または50万円以下の罰金 | 可 |
表6 是正勧告に対する対策
是正勧告を受けた事項(上から多い順) | 注意点 |
---|---|
・メンタルヘルス ・不払い残業代 ・名ばかり管理職 ・偽装請負 |
判例・通達・世論に留意した対応が求められる。 |
・不当解雇 ・最低賃金 ・セクハラ・パワハラ |
対人折衝能力が求められ、労働審判等への発展リスクにも警戒しなければならない。 |
・就業規則 ・労使協定 ・安全管理体制 |
臨検までの準備期間に解決すべき。 |
送検
使用者に交付される是正勧告そのものは、「指定期日までに指摘の法令違反事項等を是正してください」という行政指導でしかないため、強制力はもちません。しかし、是正勧告を受けた法違反を是正しない場合、悪質な事案と判断され、監督官によって、強制捜査を含む司法警察権限を行使され、送検されることがあります(労働基準法102条)。
検察官が、事件を裁判所に起訴すると判断すれば、刑事裁判手続きに付されることになります。さらに裁判で有罪と判断されれば、刑事罰が科せられることになります(以上、前掲河野125頁)。送検があった時点では、その事件が犯罪として確定したわけではありません。しかし、送検により、営業所への家宅捜索や取調べが実施され、会社に対する顧客の信用の失墜、競争入札等からの締め出しをもたらす恐れがあり、事業経営に深刻な影響が生じることが予想されます(布施直春「企業の労基署対応の実務」『労働安全衛生広報』2012年5月1日号37頁)。
送検要因
送検要因として、以下の6つの事由があげられます。
- 重大な法令違反がある場合
- 極めて悪質な場合
- 労働災害の要因として安衛法などの違反がある場合
- 社会的影響の大きい場合
- 是正勧告を受けたにもかかわらず、一向に改善の意思の見られない場合
- 被害者などが告訴、告発した場合
①から⑤の事由に当てはまれば必ず送検されるわけというではなく、送検するかしないかは監督官の裁量的判断にゆだねられます。その際、是正勧告に対する事業者の応答が大きな判断材料になります。この中でも労基法違反が送検要因の全体の約半分を占めています。(表7)
表7 労働基準法・最低賃金法違反送検事件状況(平成22年~24年)
厚生労働省HP「若者の「使い捨て」が疑われる企業等への取り組みを強化」2013年8月8日(木)掲載
賃金の支払(労基法24条) | 労働時間(労基法32条) | 割増賃金(労基法37条) | |
---|---|---|---|
平成22年(全1,157件) | 412 | 38 | 37 |
平成23年(全1,064件) | 361 | 36 | 38 |
平成24年(全1,133件) | 344 | 36 | 39 |
送検される場合の種類
書類送検: 身体を拘束されることなく書類のみ検察庁に送られる方法
身柄送検: 身体を拘束(逮捕)したまま書類とともに検察庁に送ること
労基法関係法令違反で送検される場合、大部分は書類送検です(前掲河野126頁)。
表8 労基法違反の捜査段階の措置別人員(平成25年)
件数 | ||
---|---|---|
総計 | 498 | |
逮捕段階 | 在宅事件 | 473 |
警察で逮捕 | 25(内、1件は警察で身柄釈放) | |
勾留段階 | 検察が勾留請求 | 24 |
裁判所が勾留許可 | 24 |
送検を受けた担当検察官が労務基準監督官から送られた資料や自ら行った捜査結果をもとに、刑事事件として起訴するか不起訴にするかについて判断します(河野順一『労働基準法違反と是正勧告・就業規則・個別労働関係紛争をめぐる実務対策』83頁)。平成20年のデータでは、1227件中521件と、48.6パーセントです。(表8)
表9 送検件数と、司法処分の状況(平成20年)
送検結果 | 件数 | ||
---|---|---|---|
総計 | 1227 | ||
検察官処分 | 起訴 | 521 | |
不起訴 | 550 | ||
裁判結果 | 正式手続 | 懲役 | 2 |
罰金 | 11 | ||
略式手続 | 罰金 | 506 | |
無罰 | 0 |
(資料出所: 厚生労働省「平成20年度労働基準監督年報」)
送検後の手続き
(1)起訴判断
検察官が起訴するとの判断を下す場合、
- 正式手続: 地方裁判所での正式の裁判手続きに付する訴訟手続き
- 略式手続: 簡易裁判所での略式の裁判手続きに付する訴訟手続き
のいずれかを求める起訴がなされます。正式手続は公開の法廷での正式な手続きが踏まれるものであり、略式手続は公判を開かず書面審理のみで刑を言い渡すものです。
略式手続の方が手続きが簡単で、かつ早期に裁判から解放され科される刑も罰金だけです。略式手続に付されるのは犯罪事実が明白で事件の内容も簡単なものである場合であり、運用上②の略式手続が行われる場合がほとんどです(表8)(前掲布施36頁)。
(2)不起訴判断
検察官は、その事件が次のいずれかに該当すると判断したとき、不起訴処分とします。
- その事件が有罪とは認められない場合(嫌疑不存在、嫌疑不十分)
- その事件は有罪と認められるが、起訴されるに及ばないとき(起訴猶予)
表10 送検後の手続き
判決について
正式手続、略式手続のいずれの場合でも審理の過程で犯罪事実が立証されれば、有罪が言い渡されることになります。いかなる刑罰が言い渡されるかは違反事項や具体的事情によりますが、ほとんどの場合、罰金刑が言い渡されています。しかし、違反の態様が悪質であると判断される場合には懲役刑が言い渡される可能性もあります(表9)。いずれの裁判手続きの場合でも有罪が言い渡されそれに不服があれば、高等裁判所に控訴することができます。
懲役刑を言い渡された事案 ~和歌山地方裁判所平成20年6月3日判決~
縫製業を営む事業主である被告人は、労働者を指導監督していた妻と共謀して雇用していた中国人技能実習生に対し、労働者側といわゆる36協定を超えて時間外勤務、休日勤務、深夜労働の各割増賃金の差額を支払わないなど賃金未払いしていたことが労働基準法違反となるのかが争われた。
和歌山地裁は、①早朝から深夜に及ぶ非常に過酷な労働実態でありこれを会社ぐるみで組織的に確立していたことなどから行為の悪質性があったとし、②適法な労働実態を装った別帳簿の作成を進めるなど種々の罪証隠滅工作を行ったことなどから労働法規に対する意識の低さがあったと認定して、諸事情を総合的に判断して被告人を懲役6月執行猶予3年に処した。
求められる対応策
使用者はこうした送検のもととなる事情を作らないために賃金の不払い、過重労働、安全対策を怠ること、労働災害隠しなどの労働法令違反をせず、労働者の声を経営に反映して適切な労働環境を構築することが求められます(前掲布施37頁、前掲河野56頁)。
そして、臨検された後に是正勧告書や指導票を交付された場合、それに従う義務は前述のとおりないものの、違反事項などを改善し、是正報告書を提出するか、言い分があるならば意見書を提出することが望ましいです(とはいえ、是正勧告に基づく改善策は不払い賃金の捻出などが企業にとっての大きな負担となるものでもあることから、必ずしも容易ではありません。対応策としては、前掲河野84頁)。